授業実践

2013年8月29日 (木)

ちょっと変えてみた

4年生の社会科はごみの学習。

いつもは資料提示から導入して、学習問題を作り…って進めるんだけど、今回はちょっと変えてみた。まずは、「ごみのしょりについて知っていることをあげましょう。」
燃やせるゴミだの燃やせないゴミだの分別だのリサイクルだの、ごたごたとあがる。いいんだなあ、どの子も発言でき、ホワイトボードに書き、どの子も取り上げてもらえる。
...
『あ~これねえ、これってどういうこと~?」なんてだらだらと聞きながら、鉱脈をさぐる。そのうちの一つに「ごみ処理にはお金がかかる」というのがあった。キタキター!!
『えっ?ゴミ捨てるときにお金払ってる?お金かかるの?』今月最大のとぼけである。
「んだーただだっちゃ。」「えーただで燃やせないってー」じぇじぇじぇー。いい話し合いやないですか―。おもろー。
『これは調べてみまっしょい!!』とありきたりの対応をして終了。試行錯誤の授業は続く…。

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2013年4月17日 (水)

社会科ネタ

昨日のネタ「学校が火事になったら消防車はどこに停まるか?」は、オリジナルではありませんでした。大変申し訳ありません。元ネタは書籍「提案する社会科」の中にあるものでした。関係者の方にお詫びいたします。

さて、その中にあるネタでもありますが、「学校周辺の地域に消火栓を増やすとしたら、どこにするか?」というのがあります。

これは「学校の消火器を一つ増やすとしたらどこに置く?」という風に応用できます。消火栓にしても、消火器にしても置く場所に意図があるということに気づくことができます。

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2013年4月16日 (火)

火事から暮らしを守る

久々の4年生の社会科です。

とはいうものの、前回担任したのは8年前。あちゃー教科書、変わってましたー。

でも、大丈夫。ネタはあります。

 

 

さて、最初は消防の仕事ですね。

これのネタはまあ、いろいろあります。

学校内の消火器の位置と数を調べるとか、火災報知器とか熱感知器、煙感知器の数から火事への備えを知るとか、校内ネタですね。

でも、もっと面白いのは、

「学校が火事になったら、消防車はどこにとまるのか?」です。

これは悩みますよね。近い方がいいのか、適当なのか、意味があるのか…。

これについては近隣の消防署に取材するとわかります。

これはですね、だいたいはプールのそばに停まります。要は水の確保です。もしくはいちばん近い消火栓のそばです。最近ごくまれに、自らタンクを積んだポンプ車がありますが、これは水の確保が難しいときです。学校の場合、大きな防火用水としてのプールがあるわけですから、この近くに停まります。

消防車のホースは長いですから、多少火元が遠くても大丈夫です。ポンプ車を連結するという技もあります。というのも、学校の場合は「第三出動」と言って、火事の規模にかかわらず最初から数台の消防車が到着するきまりになっているのです。地域の消防団のポンプ車も来ますから、結構な台数になります。

この学習問題をきっかけに、火災から暮らしを守る消防署の仕事について調べようとする意欲を煽るわけですね。

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2012年7月 4日 (水)

ばらの谷

先週の金曜日、国語の授業研究。物語文の読解の研究なので単元を入れ替えて、(東京書籍6年上巻)「ばらの谷」で行った。

発問は一つ

「最初に咲いていたピンクのばらと、最後に見たピンクのばらの色は同じだろうか。」

である。

同じか同じでないかをまず指摘させる。これは誰でもできる。理由が明確であろうとなかろうととりあえず選べる。これで誰でも参加できる。これは野口芳宏先生の「○か×か」に近い。

理由も書かせる。

「同じ。違って見えたのはドラガンの考え方・見方が変わったから。」

「同じではない。最初のはドラガンの手が加わっていて、最後のは自然に咲いている。」

主にこの二つに分かれる。

各自書かせてから、席を立ち自由に意見交換。いろいろな見方を知ったり、共有化したりする。

最後に全体で揉む。

どちらにしても、「自然のばらの色の美しさに気づいた」というところに落ち着いた。

同じか同じでないかはその人の読み方によって異なる。この発問は、そのことに気づかせるとともに、ドラガンの変化に着目させるためのものである。

単純に「~のときどんな気持ちでしたか。」などという平板な発問では深まりが生まれにくいし、全員の参加が難しくなる。

深まりと全員参加を常に模索しながら発問を考えている。いつもだ。車の中、風呂の中、トイレの中、布団の中…。何も机の上だけ発問を考えているわけではない。

 

次の時間(翌日)は、「ドラガンの考え方がどう変わったか」ということを定型に従って書き表す。

定型というのは

「~(だった)ドラガンが~に(なった。)」

というもの。

これは桂聖先生の物語の構造を表す際によく使われているものである。

 

国語の授業は若いころ苦手だったが、いろいろな先達の実践を知るにつれ、発問を考えるのが楽しくなってきた。

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2012年1月10日 (火)

ネタを開発せねば

6年の社会は政治的内容。

いつもここで子供のテンションが下がってしまう。歴史に比べると、どうしても魅力が少ないらしい。

ここを何とか魅力的にするのが腕の見せ所!

なのだが、ここのところ鉄板ネタが見つからない。

国会のところは「国会で法案を通そう!」とか「選挙に出るぞ!」などのシュミレーションネタをするのだが、これは一斉学習なのだ。

今現在の自分の主流は協同学習を始めとする活動中心の学習。

シュミレーションネタをどう落とし込むか思案中である。

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2011年12月19日 (月)

ミニネタ

この間の土曜日に、第25回東北青年塾が開催されました。恒例の忘年会を兼ねたセミナーです。

今回は、ミニネタのオーソリティの山田将由さんをお迎えして、塾生メンバーによるミニネタ披露大会となりました。

一人7分のミニネタを披露し、参観者が点数をつけて順位を決めます。私は予想通り(?)3位以内に入れませんでした。はっはっは。

みなさんのミニネタはバラエティに富んでおり、長時間でしたが変化があるので時間の経つのを忘れて参観できました。

ここ、ポイントです。

つまり、ふだんの授業でも同じです。45分間一つの活動をするのもいいけど、それは集中力が要求されます。7分~10分の活動の繰り返しなら飽きずに参加できる。(その昔、兵庫の古川光弘さんが、「パーツ授業」という提案をされていました。10分から15分のパーツ(活動)を組み合わせて、45分の授業を組み立てるというものです。)

今回のミニネタのなかには、7分のアクティビティではなく、本来はもっと長い時間をかけて行うものや、全体の活動の中の最初の部分だけを切り出したものもありました。みなさんのミニネタのとらえ方が違っていました。(もちろん、事前にそんなことを共通理解する時間もなかったので仕方がないのです。)

私のとらえは、7分なら7分で完結するアクティビティがミニネタだろうな、と思います。で、追試が簡単にできるもの。他の人が簡単に真似できそうなもの。かな。

今回、みなさんのミニネタを見ながらそんなことを考え、自分なりに整理することができました。やっぱり青年塾セミナーはいいなあ。熱いし、和めるし、深いし。

 

次回は、2月4日(土)。講師は私が尊敬してやまない有田和正先生です。そして、佐藤正寿さん、阿部隆幸さんとともに私もミニ講座をもちます。オール社会科デーです。青年塾立ち上げ当時からの私の念願がかないます。

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2011年12月15日 (木)

腕が落ちた

今日の社会科の授業でのこと。以前に子供たちがハマったネタをやってみた。けっこう自信をもって。

写真を2枚提示し、ノートに貼らせ、変わったところを見つけ、そこから考えられることを書いていくというもの。1枚は学徒出陣、もう一枚は東京オリンピックの開会式。

写真がカラーになった。→技術が進歩した。

武器を持っていない。→平和になった。という例示をして書き始めた。

ところが、だ。

なかなか進まないのだ。

ありゃ?なんでだ?歴代の6年生はここで怒涛のように書きまくっていたのに。

一部の子供は、行進から男女の平等、施設の立派さから経済の発展、たくさんの国の参加から国交の回復を見つけていたが、わずかな数だ。

以前はうまくいっているのに、今回はうまくいかない。これまでに全くないわけじゃなかったが、ここまで劇的なのは珍しい。

何か、途中の指示や助言をすっ飛ばしたのか、手順を誤ったのか。いずれにしても授業の腕が落ちたのだろう。

かなりショックだった。

やはり、そこにとどまることは後退につながる。進化することを求める者だけが成長、もしくは現状を維持できるのだ。

ん~まだまだだ。もっと修業せねば。

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2011年12月 8日 (木)

集中させる

5年生のクラスは、4月当初、さっぱり話の聞けないクラスだった。授業開始の「注目、礼」だけに何度もやり直しをさせた。

それが、いまやどうだろう。

「注目」の一言で、姿勢がすっとよくなる。「礼」まで3秒。

板書をノートに書く時間も速くなった。

学習問題を途中まで書いて「ここまで書いた人?」と聞くと、4分の3の手が挙がる。

 

ここまでよくなった原因を考えると、やはり逐一声をかけていたことが思い当たる。

先にあげた「ここまで書いた人?」もそうであろう。いちいち問われるのだから、反応せざるを得ない。意識せざるを得ない。

何も一斉学習のときだけではない。

グループ学習の際でも「あ~いいねえ!なるほどこういう考え方もできるね!」と全員に聞こえるように声をかけると、話合いが沈滞しているグループはハッとする。沈滞しているだけに、よく声が聞こえるのだ。

たかがこれだけ?

と思う人もいるだろうが、私はこれを1~2分に1回は行っている。頻度を高くしている。

叱られる言葉は流しても、ほめられる言葉を子供は聞き逃さない。心にも留めている。

これを繰り返してきた結果が、「注目、礼」の3秒につながっているのだ。

 

もちろん、笑いも欠かせない。一緒に笑うためには教師も含めみんなの話を聞き逃してはならない。そして笑ったことは子供は覚えている。笑った出来事がそのクラスのエピソードとして積み重なっていくのだ。

以前に自動車工業の学習で「一本のラインで違う車を作っていくんだね。例えばAちゃんはハイブリッドカーで、Bくんはスポーツカーで」するとAちゃんが「私はハイブリッド!」と突然言ったもんだから、クラスは大爆笑。それ以来「ハイブリッドカー」はAちゃんとともに記憶に残ることとなった。

今日のテスト解説の時も「ハイブリッドカー」で、Aちゃんに話がふられた。「うん、私、ハイブリッド!」でまたまた爆笑。

こうやってみんなの話を聞くようになっていく。

もちろん、他にももっとある。しかし集中させる手立ては地味なことをひたすら続けていくことが一番なのだと思う。

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2011年12月 7日 (水)

戦争体験を集める

毎回6年生の歴史で太平洋戦争を扱う時に、いろいろ悩む。反戦の気持ちをもたせるのはもちろん、そこを深く深くしたい。しかし、反面、戦争がなくならない事実も見つめさせたい。なぜ戦争が起こるのかという論理。

悩んだ末に、今回は戦争体験をできるだけ多く集め、その当時を生きた人々の生の声から戦争の悲惨さを少しでも味わわせることにした。

原爆、空襲、沖縄戦、特攻隊、疎開、配給…。

当時を生きた人々の思いに触れ、少しは感じられたように思う。

明日は調べたことを互いに発表し合う。想いを共有化するのだ。

 

しかし、中国での日本軍の蛮行や原爆の是非、ソ連の侵攻での北方領土問題など歴史になっていないもの、未だに両国間で見解の相違があるものがある。ここをどう教えるのか、教える自分自身のバイアスがかからないようにしなければならない。

あの戦争はまだ歴史になっていないと思うからだ。

戦勝国による戦後世界の枠組みなどはどう教えていいのかわからない。本当にわからない。

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2011年10月19日 (水)

這いまわってる?

『這いまわる活動』という言葉があった。

要は、子供たちの活動がさっぱり活性化せずに、目標に迫ることなく遅々として進まない状況を表している。

今の授業がそうなってしまっている。

いや、正確に言うならば、クラスの3分の2は大丈夫なのだが、3分の1はさっぱりだ。

原因を分析すると、

①目標が曖昧。

②活動のレベルが高度。

であろう。

実態を踏まえた授業設計ができていなかった、ということだ。

もちろん、そこは考えたつもりである。しかし、ふたを開けてみるとうまくいかなかった。

自分の理想だけを当てはめようとしたのだろう。

 

ここにきて、自分がこれまで鍛えてきたことは何だったのか、と後悔することしきりだ。

始まってしまった単元の学習は、なんとかやり遂げるしかない。

いろいろ考えて、胃が痛い…。

まだまだだなあ。>自分。

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