ばらの谷
先週の金曜日、国語の授業研究。物語文の読解の研究なので単元を入れ替えて、(東京書籍6年上巻)「ばらの谷」で行った。
発問は一つ
「最初に咲いていたピンクのばらと、最後に見たピンクのばらの色は同じだろうか。」
である。
同じか同じでないかをまず指摘させる。これは誰でもできる。理由が明確であろうとなかろうととりあえず選べる。これで誰でも参加できる。これは野口芳宏先生の「○か×か」に近い。
理由も書かせる。
「同じ。違って見えたのはドラガンの考え方・見方が変わったから。」
「同じではない。最初のはドラガンの手が加わっていて、最後のは自然に咲いている。」
主にこの二つに分かれる。
各自書かせてから、席を立ち自由に意見交換。いろいろな見方を知ったり、共有化したりする。
最後に全体で揉む。
どちらにしても、「自然のばらの色の美しさに気づいた」というところに落ち着いた。
同じか同じでないかはその人の読み方によって異なる。この発問は、そのことに気づかせるとともに、ドラガンの変化に着目させるためのものである。
単純に「~のときどんな気持ちでしたか。」などという平板な発問では深まりが生まれにくいし、全員の参加が難しくなる。
深まりと全員参加を常に模索しながら発問を考えている。いつもだ。車の中、風呂の中、トイレの中、布団の中…。何も机の上だけ発問を考えているわけではない。
次の時間(翌日)は、「ドラガンの考え方がどう変わったか」ということを定型に従って書き表す。
定型というのは
「~(だった)ドラガンが~に(なった。)」
というもの。
これは桂聖先生の物語の構造を表す際によく使われているものである。
国語の授業は若いころ苦手だったが、いろいろな先達の実践を知るにつれ、発問を考えるのが楽しくなってきた。
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