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2012年3月

2012年3月26日 (月)

このたび

この1カ月、書くことは山ほどあったのですが、なかなか気が向かずさっぱりでした。

いろいろ連絡があります。

 

今日は、重要なことを。

 

私、このたびの人事異動で、石巻市立住吉小学校から女川町立女川第一小学校に転勤することになりました。

住吉小には2年間という短い勤務でしたが、震災をこの学校で経験し10年分ぐらいいた感覚です。

なぜ、こんなに早く転勤したのか?

よく聞かれますが、それは秘密です。親しい人にしか話せません。至極まっとうな理由ですが、歯が浮く人もいそうだからです。

もちろん昇任ではありません。

 

ということで

住小関係者の皆さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。

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2012年3月11日 (日)

わかちあうための記念日

昨日、今日はどこのチャンネルでも「3・11から1年」でしたね。

今年1年、何をしたのか、何を考えていたのか、何を感じていたのか、憶えているようで憶えていないような、そんな1年でした。

「この日のことを忘れないために…」と、出演者がよく話していました。最初は「そんな、忘れるわけないじゃない。何言ってんだよ。」と思っていました。しかし、あとで、思い直しました。

 

 私は、被災者だから「忘れるわけがない。」と思ったのだと。

 

失礼ながら、私自身、奥尻島の津波被害や中越地震の被害のことをぼんやりとしか憶えていないのです。当事者じゃないからなのでしょう。恥ずかしくなりました。

「あ、このしつこいまでのキャンペーンは、みんなで、日本国民全体でこの悲劇の記憶を共有するため、被災者の悲しみを分かち合うためのものだったのかもしれない…。忘れていけないのは当事者以外の人々に呼び掛けているんだ…。」

そう気づきました。

海外でも今日の2:46に合わせて黙祷をしたり、献花をしてくれたりしているようです。その気持ちが有り難いです。

今日は、どこかのイベントに行って献花してこようかとも思いましたが、混雑することで私よりも悲しみが大きい人たちが迷惑するのもどうかと考え、家で黙祷しました。

大川小にも未だに行けていません。早く行ってみなくちゃ、とは思うのですが忙しさを口実に避けてしまっています。だめだなあ。

NHKの夜の番組で、あの日の夜にラジオで放送されていた音声が数秒流れ、と、同時に画面に気仙沼の火事の映像が映されていました。その時、ふっとあの時の感覚がよみがえりました。不安と使命感が入り混じった、不思議な感覚。忘れたいような、忘れちゃいけないような…。

1年過ぎたからといって、何かが変わるわけではないでしょう。明日も昨日までと同じように、自分のできることをするだけです。

たくさんの支援をしてくださった全国の皆さんに、改めて感謝いたします。

どうもありがとうございました。

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2012年3月 6日 (火)

不調

ここ数週間、ブログ更新を休んでいました。サボっていたといえばサボっていたともいえますし、理由があったといえばあったともいえます。

半分は体調悪化。どうも不整脈が続いていて(心臓の期外収縮ってやつ。実は以前にもなったことがあるのです。意外と病弱。)、おまけに珍しく風邪までひいてしまいました。

これは、酒・タバコ断ちと時間の経過でだいぶ良くなりました。

 

それともう半分は

3.11が近づいてきたことで、なんとなく気持ちが落ちていることです。

フラッシュバックするぐらいのダメージは当時も受けておらず、PTSDと言われるほどひどくはないです。

でも、なんというのでしょう。

この間、天気が良くて春の陽気を思わせる日がありました。普通だったら、あ~気持ちいいな、と感じるのですが、その時は震災の次の日の快晴の空と景色、空気の暖かさ、においを思い出してしまい、つらくはないものの何やらマイナスの方向へ向かっているのかどうかよくわからない感情がわきおこりました。

その何とも言えない感情がここ数週間、わいては消え、わいては消えしています。

うまく表現できないもどかしさがあります。うまく質問してくれる人がいれば少しははっきりするのかもしれませんが、そんな暇な人はいませんしね。ははは。

でも、まあ普通に授業もするし、教育計画も着々と作ってるし、表面上はなんともないですね。心配はないものの…、なんか違うなあ。いつもと。

やれやれ、もうしばらくつきあわないといけないか。

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