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2011年10月

2011年10月26日 (水)

一体感だね

私の1年で最も憂欝な時期がやってきた。

そう、学芸会シーズンである。

担任時代、行事が大好きな私は全身全霊をかけて取り組んできた。

しかし、今はその精力を傾ける対象がない。

よって、他の先生が楽しそうに(苦しそうに)取り組んでいるのを、指をくわえて見ているだけである。

その寂しさを紛らわせるために、今日は昔の学芸会DVDを見ていた。

6年生での劇「杜子春」。4年生での合奏「sing,sing,sing」「情熱大陸」。5年生での和太鼓、よさこい。

行事が好きな理由は何なんだろう?と、漠然と考えたが、答えは10秒後に出た。

そうだった。

私は、この一体感が好きだったんだ。

子供たちみんなが「成功させよう」と、目標に向かって努力する姿。

 

嗚呼、学芸会。

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2011年10月19日 (水)

這いまわってる?

『這いまわる活動』という言葉があった。

要は、子供たちの活動がさっぱり活性化せずに、目標に迫ることなく遅々として進まない状況を表している。

今の授業がそうなってしまっている。

いや、正確に言うならば、クラスの3分の2は大丈夫なのだが、3分の1はさっぱりだ。

原因を分析すると、

①目標が曖昧。

②活動のレベルが高度。

であろう。

実態を踏まえた授業設計ができていなかった、ということだ。

もちろん、そこは考えたつもりである。しかし、ふたを開けてみるとうまくいかなかった。

自分の理想だけを当てはめようとしたのだろう。

 

ここにきて、自分がこれまで鍛えてきたことは何だったのか、と後悔することしきりだ。

始まってしまった単元の学習は、なんとかやり遂げるしかない。

いろいろ考えて、胃が痛い…。

まだまだだなあ。>自分。

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2011年10月 6日 (木)

空気なのだ

前回の記事で、一斉授業に違和感を覚えると書いた。

抽象的に言うと、「空気が固い」と感じたのだ。

これを具体的に言うと、

・子供の表情が硬い。

・子供の動きが鈍い。

ということである。

「鈍い」というのは何も動きが遅いということではない。

むしろ板書を写すことに集中していて、鉛筆の動きは速いぐらいだ。

鈍いのは思考だ。

考えて動いていない。

活動中心であれば、自分で考えて学習をする。程度の違いこそあれ、誰もが考えざるを得ない。何を調べるのか、これはどういう意味なのか、それなりに考えて学習を進める。

 

たぶん、違和感はここなのだ。言われたとおりに、指示されたとおりに動き、受身の状態が続くこと。思考の空白が多いのだ。主体的でない。

で、これを解決するにはやはり活動中心にしていく必要がある。

しかし、時間との闘いが…。というのは、前回も書いたとおり。

ここが今の課題なのだ。時間を限定しつつ、ホットな空気をもって学習すること。

ん~。難しいなあ。

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2011年10月 4日 (火)

一斉授業に違和感を覚える

ここ2年ほど、一斉授業の割合が減っている。

1時間が完全に一斉授業、というものはほとんどない。

これまでの自分の研修で、それを見直そうと思って実践してきたからだ。

 

しかし、運動会の練習やこれからの学芸会の練習で専科授業がうまく組めないようなのだ。進度を気にすると、この時期に少しペースアップしなくてはならない。

それで、仕方なく3時間ほど一斉授業を行った。

 

だが、授業をやっている最中、自分の中で違和感がふつふつとこみ上がってきた。

発問→指名→発言→説明 の繰り返しだった。

時間がないので、そうならざるを得なかったのだが、

一方的に教師の主導で、果たして意欲は?果たして問題解決能力は?

子供の表情を見ながら、何とも言えない暗澹たる気持ちになった。

 

実際に一斉授業の時の子供のノートを見ると、そうでないときとの差が歴然。カイも少なければ、ギも少ない。

 

子供主体の授業を仕組んでいくときに、時間との闘いが私の場合最も大きな問題である。いかに効果的な手法であったとしても、この問題から逃れられない。

得意の笑いで授業自体にメリハリはあるのだが、内容はお粗末である。

進度も調整しながら、子供主体の授業を仕組んでいくことが、今の私の課題である。

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2011年10月 1日 (土)

運動会だ

震災で延期になった運動会。本来は5月に実施だった。

3月に年間の行事計画を立てたときには本当にできるかどうかなんて、全く予測がつかなかった。

何とか実施の見通しがたったものの、内容について(規模を縮小するのか、いや、こんなときだからこそ盛大に行うのか)職員間や管理職の間で紆余曲折もあった。いろいろとストレスが溜まった時期もあったが、こうやって実施できると感慨深いものがある。

水と泥に覆われた校庭。

自衛隊や米軍がひたすら撤去してくれた。

夏にはグラインダーが入り整地。

本校にゆかりのある業者がトラックの位置を測量してくれた。

開催1週間前にようやくトラックができた。

 

午前中で終わる内容だったが、それでも運動会の雰囲気と子供の頑張りには変わりがない。

誰のための運動会か。

そりゃもちろん、子供のためだ。

私の願いは「行事を通して子供が成長すること」。これ以上でもこれ以下でもない。

 

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