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2011年7月 4日 (月)

あの日のこと 10

★ 自宅へ

続きである。

私は職員の中では最後の5日目に自宅へ、家族のもとへ向かった。

前日に同僚から家族からの手紙を届けてもらっていたので、比較的落ち着いていくことができた。

がれきから拾ってきて修理した自転車のうちの一つに乗り、あたりを撮影しながら向かう。

学校の周辺の状況はすさまじいものだった。

斜めに4台重なっている車。道路に散らかる家具。ところどころに深い水。そして泥。

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市内の幹線道路も水没しているところがあった。

そのまま自宅へ向かう。

だんだん自宅が近付くにつれ、被災状況は軽くなっていった。そうか。西側の方までは津波も来なかったんだ。途中の交差点でも信号はちゃんと動いていた。多くの車が行きかうの見て別世界のような違和感を覚えた。

自宅に着く。やはり浸水。津波の影響で近くの堀が増水して我が家まで来たようだ。ああ、床上だ。玄関と廊下には泥。リビングには家具が散乱。落胆というか何というか笑うしかない。

2階は本棚が倒れてドアが開かなくなっていた。あきらめて家を出る。

家族は、妻の勤務校に避難していたのでそこへ向かう。海岸からは相当離れている箇所なので浸水はない。しかし、道路の陥没がひどい。

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途中のスーパーでは長蛇の列。みんな物資を求めて、長時間並んでいるらしい。

避難している学校に着く。玄関から入り、職員室へ行く。挨拶をしているうちに廊下から妻が来た。

「あ~、生きてた…!」と小走りにきた妻。人目もはばからず抱擁。泣いていた。「大丈夫。俺は不死身だ。」と言おうと思っていたが、いざとなると言葉は出てこないものだ。

そして、娘と息子、母親にも会う。みんな元気そうだ。子供たちを抱きしめながら、「よくがんばったな!」と言う。娘は避難する前に携帯の災害伝言板にメッセージを送っていた。それが姉の目にとまり、いち早く安否が確認できたのだ。「ファインプレーじゃん。」とほめた。さすが日頃から暇さえあれば携帯をいじっている女子高生。息子(当時6年生)は、自分の学校で二晩過ごした。家族いない中心細かっただろうが、元気だった。「えらかったな…。」と声をかける。

ゆっくりと話したかったが、そうもしていられない。自宅から毛布やストーブを自分の学校に運ぼうと思っていたのだ。早くしないと暗くなる。妻の車(幸運にも無事だった。)を借りて自宅へ行き、めあてのものやら思いついたものをたくさん積み、学校へ。

このストーブは、この後職員が待機する本部を暖めるという重要な任務に着いたのだ。おかげで私はたくさんの人から感謝されることとなった。

車を妻の学校へ戻し、私は再び自転車で自宅方面へ向かう。近隣の被災状況を知りたかったからだ。

行ってみるとそこには見たこともないような惨状があった。(続く)

 

しかし、笑えるな。みなさん、昨日、今日のニュースを見ました?

はははは。あきれる。あんな人間が復興担当大臣だってさ。政治家としてというより、人間としてあかんわな。もういい。自治体にすっかりまかせてくれ。こんなところで私だけが騒いでも仕方がないのかもしれないが、ここから波を起こそう。

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