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2011年7月

2011年7月28日 (木)

今の状況

昨日、やまかんさんから電話がありました。

8月20日に市内でセミナーがあるので、交通状況について教えてほしいとのこと。

ああ、そうですよね。そんなことは報道してくれないですから。

そこで、今日は市内の状況を報告します。

 

★学校

まずはここから。

校舎が損壊している学校は、他校に間借りしています。私の前任校も現在の勤務校のとなりの学校に間借りしています。(おかげで子供たちに会えてよかった。いっぱい手を振ってくれた。)

沿岸部の学校のほとんどはそうなっています。中には学年ごとに違うところに間借りしている学校も。

小中学校だけでなく、高校もそうです。

そして、夏ですから当然問題になるのは…。

そう、プールです。

私の学校はプールが完全に損壊しています。機械だけでなく、プールの中にはヘドロがたまっていて排水すらできません。

そういうわけで隣の学校に借りています。と、言葉にすると簡単ですが、夏休み前に一回だけ学年部ごとにぞろぞろと歩いていき入りましたし、プールの管理も合同で行いますし、割り当ても配慮し、水直も人数を考え、保護者にお知らせをし、数々の手続きをしてようやくプール開放なのです。

★道路

でこぼこがまだあります。直しているのですが、まだだめです。それから信号が直っていません。市内でも主要な幹線道路はいいのですが、わき道や被災の大きい地域ではまだです。4か月も経っているのにこの辺はまだまだなのです。

★ハエ

報道されているように今年の夏はハエが異常発生。そりゃそうだ。市場の魚や、その他有機物がいっぱいなのですから。いつぞやの給食時間に、私は12匹とりました。(動体視力の勝利)ハエ取りリボンが売れているらしいです。

 

あと何かあったかな。なんだか普通じゃない状況が普通になってしまっているので、気づいていない(気にしていない)ことが多過ぎて…。

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2011年7月26日 (火)

立命館からの贈り物

これも、前のことなんですが書いてませんでした。

交流をしている立命館小から贈り物がありました。

何だと思います?

立命館ですよ。

そう、「辞書」です。

立命館と言えば辞書を使った実践が有名ですよね。

そこで本校にも辞書のプレゼントです。

しかも、全校児童(184名)分です!

いやいや、ありがたい。

さらに、

「せっかくですから、地域の書店から購入してください。そうするとその書店にも復興の手助けになります。」

という申し出。

細やかな配慮に感謝するばかりです。ありがとうございます。

その他にも、陰山先生考案の理科実験セットも送ってくださるのこと。

本当に有り難い支援です。

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2011年7月25日 (月)

実はいろいろありまして~岩下先生、来校!

今頃ですが、震災を振り返る記事を書いている最中に実はいろいろありまして、遅くなりましたがそのことも振り返っていきます。(あれ、日本語おかしい。)

実は、6月の24日に立命館小学校のあの岩下修先生が来たのです!

岩下先生と言えば、「AさせたいならBと言え」が有名です。もちろんその他にも多くの国語の授業に関する著書を出しています。

え?本当に来てくれるの?生で授業が見られるの?すごい!と一人で感動しておりました。

その前の伏線がありまして、立命館小と本校で交流をしないかという話が持ちかけられて児童会レベルでのメッセージの交流を行っていました。

立命館小には糸井さんや吉川さんという知人もいて、私としてはうれしいところでした。

そして、岩下先生からの申し出があったのです。授業をしていただけるということで、私の方にメールが来たので窓口は私が。

で、当日となりました。本当に(?)やってきてくれました。>感動。

4時間目に5年生に音読の授業。5時間目は6年生に同じく音読の授業。6時間目に6年1組に詩の授業、その後講話、というスケジュールです。

岩下先生はこの日のためにわざわざ、芭蕉と石巻にかかわる教材を準備していてくださいました。

音読の授業では、子供たちがどんどん引き込まれて集中していきました。ほめる言葉が的確で、それに子供がのっていく。すごいすごい。 11

詩の授業では子供たちに深く考えさせる発問のオンパレード。名人芸です。

3

その後の職員向けの講話でも短い時間ながら、実に中身の濃い話が聞けました。

「授業では、子供たちの入力と出力のバランスをとることが大切です。」

という言葉が印象に残ります。

ざっくり言うと、話を聞かせるだけでもだめ、表現させるだけでもだめ、その二つをバランスよく授業に盛り込めば子供たちは授業に集中する、ということです。

これってシンプルな言葉ですが実に奥が深い。

もっとお話を聞きたかったのですが、時間切れです。

 

それにしても、感謝の言葉しかありません。

岩下先生は完全にボランティア。交通費や謝礼も一切受け取りませんでした。被災地の学校の子供たちや先生のためにわざわざ京都から休みを取って来てくださったのです。

それだけではありません。全校児童にしおりをもらいました。そこには直筆で先生のメッセージが書かれていました。職員には生八つ橋のお土産ももらいました。ああ、何て心の純度が高い人なのだろう。

私もみんなも元気をもらいました。

そして、私なんぞが岩下先生とつながりをもてたことが何よりうれしい。

いつか、恩返しがしたいです。いつか、いつかきっと。

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2011年7月14日 (木)

そういえば 2

今日、外の倉庫から育成会で使うテントを運び出しました。

みんなでリヤカーを押しながら、

「なんか、前にやったよね!」

「あ~何運んでる時だっけ。」

「支援物資?」「だっけかあ。」

なんか全然覚えていない。

給食(現在も簡易給食です)のとき、思い出したのは

「水がなくて手も洗えないし、食器も洗えなかったっけなあ。」

ということ。

とにかくアルコール除菌。手も食器も。おかげで手は荒れ放題。

食器にラップを敷いて料理を盛る、という裏技も開発されました。

備蓄品にラップを大量に追加しておかなくちゃね。

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2011年7月12日 (火)

そういえば

震災から4カ月です。

そういえば…。

と思いだしたことがいくつかあります。

★気温

震災当時は3月とは思えないほど寒かった。あの頃はこの寒さを何とかしてほしいと思っていたのだが、今思えば寒くてよかったのかもしれない。

まずは、遺体のこと。

もし、夏だったら…。

もっと傷んでいただろう。遺族の気持ちももっと暗澹たるものになっていたかもしれない。

それから、支援物資。

届けてもらったパンやおにぎり。消費期限を1日2日過ぎていいるのはざら。もし、夏だったら全く食べられなかっただろう。何せ電気がないので冷蔵庫も使えないのだから。

★服

とにかく着るものがない。

あったとしても洗濯できない(水がない)ので、簡単に着替えることができなかった。

夏だったら汗をかいても着替えられない。不衛生極まりない。しかし、寒かったので何日か着替えなくても何とかなっていた。

 

こう考えると不幸中の幸いだったのかもしれない。

ん~夏場の震災。考えただけでぞっとする。

そういえば阪神の時も1月だった。

夏場の震災対応も考えていかなければならないだろう。

 

それにしてもハエが多い。いつもの年の5倍はいるような気がする。

海に近いところはもっと多いらしい。まるで東南アジアの某国の市場のようだとか。

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2011年7月 5日 (火)

あの日のこと 11

昨日の続き。

私は自宅から息子の通う学校の近くに行ってみた。

45号線を越えたところから状況は一変していた。

積み重なる車。2台や3台じゃない。無数の車がそこらへんに積み重なっているのだ。建物は損壊している。自宅周辺や自分の学校のそばの状況とは明らかに違う空気がそこにあった。

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しばし、絶句する。

大街道と呼ばれる幹線道路は、歩道が通れない状態。車道を歩く人々や自転車の群れ。それをよけるようにそろそろと走る車たち。

あとでわかったのだが、このあたりは直接海からの津波がやってきた。距離にして1km以上。それでも被害を与えるには十分な距離だったのだ。

よく行った焼き肉屋も倒壊している。

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息子の通う学校に行き、知り合いの職員と話す。子供たちが20数名死亡、または行方不明だと言う。言葉を失う。あとでわかったのだが、その中には息子の友達も含まれていた。

そこから、学校へ向かいながらあちこちに立ち寄る。

川の近くは見るも無残だ。

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唖然とするというか、映画や何か現実ではないものを目の前にしている感じだ。

改めて未曽有の災害だということを感じたのであった。

これが5日目の惨状であった。

 

この記事のシリーズもそろそろ、もういいかな、という感じになってきた。

この後は、いろいろあるのだが、他の地域に比べれば幸いに被害が少なかった勤務校は何とか4月21日の始業式にこぎつけた。

そして現在、避難者は20数名(校舎1階の5教室を使っている)で、体育館が使えないが、それ以外はほぼ通常の活動を行っている。

あちこちからの支援を受け有り難い気持ちでいっぱいだ。被災地ではほぼ4カ月経って、復興が思うように進まないいらいらがあるが、とりあえず私の学校の子供たちはすこぶる元気だ。私もそのエネルギーをもらって元気になってきている。

この後のことはまた別な記事で紹介することにする。

◇◇◇

たくさんの皆さんにこの記事をご覧になっていただきました。(毎回200以上のアクセスがありました。)被災地の学校で教職員がどう過ごしてきたのかを少しでもわかってもらえたらうれしいです。ありがとうございました。

「このときはどうしていたの?」といったリクエストがありましたら、ぜひどうぞ。答えられる範囲で記事にいたします。

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2011年7月 4日 (月)

あの日のこと 10

★ 自宅へ

続きである。

私は職員の中では最後の5日目に自宅へ、家族のもとへ向かった。

前日に同僚から家族からの手紙を届けてもらっていたので、比較的落ち着いていくことができた。

がれきから拾ってきて修理した自転車のうちの一つに乗り、あたりを撮影しながら向かう。

学校の周辺の状況はすさまじいものだった。

斜めに4台重なっている車。道路に散らかる家具。ところどころに深い水。そして泥。

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市内の幹線道路も水没しているところがあった。

そのまま自宅へ向かう。

だんだん自宅が近付くにつれ、被災状況は軽くなっていった。そうか。西側の方までは津波も来なかったんだ。途中の交差点でも信号はちゃんと動いていた。多くの車が行きかうの見て別世界のような違和感を覚えた。

自宅に着く。やはり浸水。津波の影響で近くの堀が増水して我が家まで来たようだ。ああ、床上だ。玄関と廊下には泥。リビングには家具が散乱。落胆というか何というか笑うしかない。

2階は本棚が倒れてドアが開かなくなっていた。あきらめて家を出る。

家族は、妻の勤務校に避難していたのでそこへ向かう。海岸からは相当離れている箇所なので浸水はない。しかし、道路の陥没がひどい。

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途中のスーパーでは長蛇の列。みんな物資を求めて、長時間並んでいるらしい。

避難している学校に着く。玄関から入り、職員室へ行く。挨拶をしているうちに廊下から妻が来た。

「あ~、生きてた…!」と小走りにきた妻。人目もはばからず抱擁。泣いていた。「大丈夫。俺は不死身だ。」と言おうと思っていたが、いざとなると言葉は出てこないものだ。

そして、娘と息子、母親にも会う。みんな元気そうだ。子供たちを抱きしめながら、「よくがんばったな!」と言う。娘は避難する前に携帯の災害伝言板にメッセージを送っていた。それが姉の目にとまり、いち早く安否が確認できたのだ。「ファインプレーじゃん。」とほめた。さすが日頃から暇さえあれば携帯をいじっている女子高生。息子(当時6年生)は、自分の学校で二晩過ごした。家族いない中心細かっただろうが、元気だった。「えらかったな…。」と声をかける。

ゆっくりと話したかったが、そうもしていられない。自宅から毛布やストーブを自分の学校に運ぼうと思っていたのだ。早くしないと暗くなる。妻の車(幸運にも無事だった。)を借りて自宅へ行き、めあてのものやら思いついたものをたくさん積み、学校へ。

このストーブは、この後職員が待機する本部を暖めるという重要な任務に着いたのだ。おかげで私はたくさんの人から感謝されることとなった。

車を妻の学校へ戻し、私は再び自転車で自宅方面へ向かう。近隣の被災状況を知りたかったからだ。

行ってみるとそこには見たこともないような惨状があった。(続く)

 

しかし、笑えるな。みなさん、昨日、今日のニュースを見ました?

はははは。あきれる。あんな人間が復興担当大臣だってさ。政治家としてというより、人間としてあかんわな。もういい。自治体にすっかりまかせてくれ。こんなところで私だけが騒いでも仕方がないのかもしれないが、ここから波を起こそう。

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