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2011年6月13日 (月)

あの日のこと 3

3月11日の夜がやってきた。

子供たちも含め避難している人たちはすべて3階の教室にいる。廊下にいてもどかしげに過ごしている人もいる。一番気になるのは子供たちだが、家族が迎えに来なかった(来れなかった)子供たちもとりあえず落ち着いている。

この日はとにかく寒かった。雪が降るくらいだった。幸いにうちの学校には電源を必要としないストーブが3つあった。いや、この時点では1つしか使えなかった。残りの二つはどこか。体育館にある。それを取りに職員で向かう。

体育館は当然ながら浸水している。通路はもっと水深が深い。腿まで水につかりながら何とかたどり着く。暖房が入っている倉庫に向かう。しかし、中にあった数々の備品が倒れたのでドアが開かない。20cmぐらいの隙間からなんとか入る。あかない原因は行事等でよく使う長机が崩れたためだ。それを直している最中に別の長机が倒れてきて、私の頭をしたたか打ちつける。「大丈夫!?大丈夫?J先生!」「大丈夫!」こんな時は痛みは感じないものだ。その後、ドアを開けることができ、3人の職員でぎりぎりのところでストーブ二つを取りだした。それを面積の広い二つの教室に運ぶ。

次は明かりだ。

確か理科室にろうそくがあったはず。それを取りに行く。あった。実験用なので大きいものはないがそんなことは言ってられない。それを家庭科室にあったボールに立てて火をつける。

それから懐中電灯。1階の職員室に取りに行く。水はこの時点でひざ下から足首ほどに引いていた。あったはずの場所にない。落ちて水没していたのだ。残った2つのを持っていく。しかし、電池はどうする。

「あ、理科の実験で使ったものを家に持って帰ってない子どものものがあるかもしれない!」と気がついた担任の一言で、一瞬笑いが起きた。「だらしないのも、こんなときに役に立つな!」この日、初めて笑ったかもしれない。それを持ってきて懐中電灯に入れる。本部は明るくなった。「○○○くんのおかげだな。」「あとでほめといてね。」忙中笑いあり、だ。

この時点で6時をとっくに過ぎていたと思うが定かではない。

次は食事が心配になる。当然のことながら、備蓄はない。職員室にあるお菓子を集めてくる。それから、6年担任が「感謝の会のために作ったカップケーキがある!」と気がついた。それも集めて、どれぐらいずつ配分できるか相談。まったく足りるはずもない。

「せんべいは1枚ずつ、カップケーキは4分の1ずつ、とりあえず子供たちとお年寄り優先で。」ということになった。それを渡しに行く。それぞれの部屋を回って説明しながら配布。当然大人の分はない。しかし、誰も文句は言わない。すごいな、日本人。

水は高架水槽のためわずかながら出る。しかし、今後に備えてなべやボールに汲んで蓄えておく。これは女性の先生が率先してやってくれていた。

本部ではラジオだけが頼りだ。私たち自身もこの災害の全容を知らないのだが、この時点では誰もそのすごさを知らない。ラジオの報道も、入ってきた情報をそのまま流しているだけだ。仙台市の荒浜で300人もの遺体が打ち上げられているとの未確認(?)情報も流れる。誰もが言葉を失う。

そのうちに門脇では小学校が炎上しているとの情報も流れる。確かに学校の南側の窓からは山の稜線の向こうの雲が赤く染まっている。

皮肉なことに、この火のおかげで教室は明るく照らされている。何てことだ。(続く)

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