本日(時間的には昨日)市の教育研究会の一斉研修日でした。社会科部会では午前は授業研究、午後は講演会という日程です。授業は本校の6年生の先生が提供しました。
年度当初、授業者を決める際に彼女は「社会科の研究授業ってやったことないんですよね。」と言いながらも、「勉強になるので」と引き受けました。そのやる気がすばらしい。私が6年生の社会を担当するかどうかも含めての話し合いだったのですが、「JJ先生に教えてもらいながら。」と過分なお言葉。
で、今回もいろいろと相談しながら授業設計をしました。単元は「長く続いた戦争と人々の暮らし」です。この単元の1時間目を授業研究会に当てました。
授業はこんな感じ。
まず、ウォーミングアップで「歴史人物カルタ」。4月から行っていたもの。子供たちはいつものように大騒ぎで和気あいあいでやっていました。
次に写真の提示。「焼き場に立つ少年」です。(詳しくはこちらやこちら)まずは、戦争中の写真だということ以外は何も教えずに。
T:この写真からわかることは?
C:子供が赤ちゃんを背負っている。
C:はだしだ。
C:足が焼けているように見える。
C:服がぼろぼろ?
などなど、思いつくまま言ってました。
次に、この写真の状況を教えます。
シーンとなる子供たち。
T:この写真を見て疑問に思うことは何ですか?
C:なぜ、一人で来ているのか。
C:なぜ、泣かないのか。
C:なぜ、はだしなのか。
C:なぜ、一箇所で死体を焼いているのか。
C:なぜ、気を付けをしているのか。 etc
で、これについてグループで話合いながら予想をしていきます。その後、発表。それについて教師がつっこみながら、考えを深めていきます。
なぜ、一人で来ているのか。→親が死んでしまった。父は戦争に行った。他の大人もいない。
なぜ、泣かないのか→あまりにも悲惨な状況を見すぎた。たくさんの人が死んでいったのを見てきた。がまんしていた。
なぜ、はだしなのか→くつを買えなかった。食料などを買って、お金がなかった。焼けてしまった。
(ちなみに隣のクラスでは、坊主なのはこの当時そういうきまりだったのでは?という予想も出ていました。)
紙面で再現するのは難しいですが、子供たちはこうしたやり取りをする中で考えを深めていきました。戦争というものに翻弄された少年のことに思いをはせていきます。
T:(この少年も含めて)戦争のとき、国民はどのような暮らしをしていたのでしょうか。
というところで終了。問題意識を高めつつ次時へ。
授業のポイントは、写真を読み解くこと、見えないものを見ようと考えること、です。その触媒として教師の発問やつっこみが意味を持ちます。その辺も事前に十分話し合っていたので、まずまずだったかなと思います。
「社会の研究授業は初めて」と言いながらも、落ち着いた感じで授業を進めていたS先生。立派でした。いい勉強になったと思います。
◇
実は、この写真を紹介したのは私。初めて見たときから、これを教材に授業ができないかなあと熱望していました。正直、この写真のインパクトはすごい。見るものを圧倒する少年の敬礼にも似た直立不動の姿勢。血がにじむほど噛み締めた唇。いったい何を考えていたのでしょう。
写真をとったアメリカ人のオダネル氏は「原爆を落としたは正しい。」というアメリカ国民の風潮に疑問を持ち始め、しかし公開するには…、と葛藤し封印します。その後息子の手によって公開されるのですが。
このオダネル氏の葛藤を教えることは、当時のアメリカ人の見方を知るうえで重要です。非常にデリケートな問題ですが、なんとか授業の形にしたいと考えています。
また、「少年は何を考えていたのでしょう。」という発問は単元の最後にやってみようと決めています。
それにしても少年の目の前に広がる光景はどんなものだったのでしょうか。心が痛みます。
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