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2008年6月10日 (火)

秋葉原の事件

教育者のはしくれとして、この事件に触れざるを得ません。犯人は25歳。私が教えた子供たちも同年代になっています。

この事件を聞いたときに、思い浮かんだ言葉。「仮想的有能感」

他者を軽視することで自尊感情を高める。

「他人を見下す若者たち」速水俊彦著(講談社現代新書)の中に出てくる言葉です。

マスコミの言葉を信用すれば、犯人は自尊感情が高かったと思われます。理想の自分と現実の自分とのギャップに苦しんでいたのでしょう。

それが、自己を高めるという形ではなく、他者に向いてしまう。殺人という形にはならなくても、自分がうまくいかない理由を他者になすりつけてしまう例は他にもたくさんあるのではないでしょうか。

このような若者が育っていったのはなぜか。

一つ考えられるのは、あんまり子供を「よいしょ」しすぎたのではないかということです。大事にしすぎた。失敗させないように配慮しすぎた。根拠のない自信を与えようとしすぎた。

失敗しないようにさせた結果、失敗を恐れすぎるようになった。傷つくことを必要以上に恐れるようになった。傷つきたくないから、人と深くかかわらないようになっていった…。

なぜだったのか。それを真剣に考えたい。教育にできることがあったのではないだろうか。微力ではあるかもしれないが、自分にできること、それを考えていこうと思います。

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コメント

「よいしょ」のこと、同感です。「教育にできることがあったのではないだろうか」のところも賛成です。しかし、学校教育がすべての責任を負えるとは思えず、重い気持ちでいます。自分ができるのは、学級を支え、学級の子供たちを守り育てることだと思います。人を大事にし自分の行動に責任を持てる子供を育てることがにっぽんのためになるのだと思います。

投稿: かつのり | 2008年6月12日 (木) 22時47分

かつのりさん、コメントありがとうございます。学校教育がすべての責任を負えるとは思えないというところは私もそう思います。でも、家庭で救われない子供も学校で救われることもあるのではないだろうかという自戒です。

投稿: JJ | 2008年6月12日 (木) 23時34分

もちろんわかっています。学校でこそできることはありますね。野中先生がおっしゃる「生徒する」もです。目の前の子どものためにできることをしていきましょう。

投稿: かつのり | 2008年6月14日 (土) 22時52分

そうですね。がんばっていきましょう。模倣犯が続きそうな感じなのがやるせないです。

投稿: JJ | 2008年6月15日 (日) 20時06分

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