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2006年7月 6日 (木)

いづおんつぁんは護良親王~その2

 昨日の続きです。

 さて,皇子(護良親王)はなぜ,石巻に来たのか。それはこんな理由がありました。

 足利氏と対立していた護良親王は尊氏の命によって,殺されたことになっています。しかし,その命を受けた淵辺義博は,殺すのは畏れ多いと思い皇子を殺さずに家臣数名をつけて,船で牡鹿湊に逃したと言われています。当時石巻には南朝に忠誠を尽くした葛西清貞がいて,手厚くもてなしたそうです。その後,護良親王は再起を図りましたが夢かなわずそのままこの地で亡くなった,ということです。墓もあります。ただし,あくまでも伝説。確たる根拠となるものは何もありません。

 ですが現在,一皇子神社のある湊地区には「御所入」「御所裏」「吉野町」などの南朝ゆかりの地名が数多く存在します。また,「多福院」というお寺には,後醍醐天皇の供養碑があります。あながち,伝説と断言してしまうのも十分ではないような気がします。なんとなく,義経が生きのびて北海道に渡り,さらに大陸へ渡ったとする伝説と似てなくもないですが。

 子供たちもなんとなく歴史のロマンを感じてくれたかな,と思います。

 北朝鮮のミサイルですが,発射の意義がよくわかりませんね。自分たちの立場を悪くしているだけのように見えます。「民を軽んじるものは必ず滅びる」ことはどこの国の歴史でも同じことだと思うのですがね。

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「授業実践」カテゴリの記事

コメント

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投稿: みつ | 2006年7月10日 (月) 16時12分

どうも,みつさん。コメントありがとうございます。ココログのメンテナンスのためコメントを書けませんでした。
リンクの件,OKです。あとで登録します。

投稿: JJ | 2006年7月13日 (木) 22時59分

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